無条件降伏▼

自殺を目論んでいたがそれすら手放した粗悪品

自己価値


今日(というか昨日)はコンサータを飲まずに過ごしたが、殆ど寝ていた。
やはり薬を飲まないと起きていられない。

夜に父と電話で少し話して、やっとこさ起きて掃除と風呂と食事をしたくらいだ。

一人暮らしが致命的に向いてないのだが、理由の一つとして、誰かがいないと何もやらないことが挙げられる。
友人といるときは頑張れるし、父と話すと元気が出るのだが。
自分のために頑張ることに意義を見出せない。

というか、自分のために生きるのって、すっげ難しくね?と思う。
「私、自分大好き人間なんで」みたいなの聞くと、どういうこと?となる。

自尊感情も自己肯定感もどん底な私はそれこそ自分は全人類の中で最もダメな人間だと思っていた。
それもそれで自惚れだと気付いたからやめたけど。

そこまでではないにしろ、今でも、自分を好きになるのはとても難しい。
自己投資も苦手なので、自分のためにお金を使ったり、自分のための休日を過ごすのが苦手だ。

ただあまり自己卑下が過ぎると、私に対して良い感情を抱いてくれている少数の人を蔑ろにしてしまうため、
自己否定を明るみに出さないようにしている。

「え?私が可愛いって!?知ってる〜♡」
みたいなキャラを心掛けている。その方が、周りの人も「うるせえブスwwww」って言ってくれるし、振る舞いやすい。
自己否定を隠すための天真爛漫という感じ。

あ、この人は、誤魔化してもダメだな。
って思う時が何回かあったけどね。
それでもこのまま、おどけさせてくれたから、ありがたかった。
一度下を向いてしまったら、もうどんな顔をしたらいいか分からなくなるし。

2年前の乖離から比べたらだいぶ落ち着いたし、自分がどこにいるのか分からない感覚も減ってきた。
それでも抑うつだったり希死念慮だったりは無くならないから、死ぬまで死にたがるのだろうな。
緞帳が降りて初めて私を確定できる気がする。

自殺理由

 

そういえば自殺理由を書いていなかった。

せっかくブログのタイトルも決まったことだし、記念に書いておこう。

 

長くなりそうだ。あでも、個人情報は怖いな。どこまで詳しく書いたらアウトとかあるのかな。

 

 

 

私は物心ついた時から割と死に対して好意的だった。興味本位な時期もあった。

小学4年生くらいか?の時に、放課後に誰もいない教室で、

「ここから落ちたら死ねるんじゃないかな」ってソワソワしながら窓に足をかけていたところ、クラスメイトに見つかってしまった。

小学生の時は、好奇心旺盛で、成績は優秀だった。注意されるの忘れ物とうっかりミスが多いくらいだった。

 

 

中学の頃から勉強がつらいと思うようになった。

課題をやろうと思って机に向かうが集中できず、でもやらないといけないと思い夜中まで起きていて、それでも手をつけられない。

次の日の授業はもちろん起きていられず、いつも怒られていた。

課題をやらない・授業は寝てる・成績は悪い、の劣等生だった。

 

 

高校の頃ピークを迎えた。

理系クラスにも関わらず数学が壊滅的にできない私は100点中8点を取り(丸はひとつもない。すべて部分点)、0点の友人と仲良く再テストを受けた。

夏休み返上で学校へ行き、数学の先生と3人で狭い教材室で補習。

知能レベルが小学生の私に、最初から教えてくれる先生。

分かった!これなら解ける!と安心したが、次の日の再テストは12点。

おかしいな。問題は全く同じなのに。

再再再再再再再再テストでようやく赤点ラインの30点を超え、それとほぼ同時に夏休みも終わった。

もちろん問題は全く同じだ。優等生よろしく学校に通いつめてこの結果だ。

先生は「受験科目に数学のない大学を選んだ方が…」と、私に数学を教えるのを諦めた。

数学ほどではないが他の教科も出来が良かったとは決して言えない。

いろんな先生に嫌われすぎて、職員室に入ると睨まれるほどだった。

某先生からは個人的な嫌がらせもあった。

 

ただ、生物は違っていた。

もちろん課題はやっていない。いや、やろうという意思はあるのだ。勉強に集中できないだけで。

授業中も、退屈な時間は寝ていた。

テストでは生物のみ、クラス1位。

「せめて課題を出せよ俺の立場がないだろう」と怒られた。

一度聞いたら覚えられたので、何度も繰り返し問題を解いている理由が分からなかった。

 

しかし自称進学校の高校は課題の量が多い。それを何ヶ月分も貯めている私はもはやどこから手をつけたらいいのか分からず、それでも少しずつ消化しようとして、1日で進んだ問題数が2問とかもザラだった。

 

何度も親と喧嘩をした。特に母親との喧嘩は毎日だった。階段から突き落として突き落とされて、引っ掻く噛み付く蹴り飛ばす。本気で家出を考えた。

そして睡眠がおかしくなった。いくら寝ても眠くて、昼も夜も起きていられない。授業を受けることも課題をやることもままならなかった。

 

高校2年生の夏。

成績不良と親子喧嘩に疲弊した父親NPO法人のなんかよく分からない施設を紹介してくれた。

私が「カウンセリング受けたい」と言ったから探してくれたのだ。

学校の保健室にも相談したのだが、受験を控えている3年生のカウンセリングが優先だから受けられないと断られた。

 

カウンセリングの予約をして、後日、臨床心理士の方と施設でカウンセリングした。

 

臨「今日はここに来るまでに迷いませんでした?」

私「道を一本間違えました。遅れてすみません。」
臨「家族の誕生日と年齢は言えますか?」
私「全員の誕生日は覚えてるけど…父と祖父母の年齢は曖昧です」

 

それから、いろんなテストをした。
ブロックを積んだり、ストーリー順にイラストを並び替えたり、このシチュエーションのときなんとこたえますか、とか。
大学に入ってから分かったが、シチュエーションのやつはストレス耐性を見るテストだった。心理学科に入ったので、時間差で分かったことが結構あった。

  

 

さらに後日、親と結果を聞きに行った。

「子供のとき、落ち着きがなかったりしませんでした?」「忘れ物やなくし物、遅刻が多くありませんか?」

どちらもイエスだ。

 

 

「注意欠陥・多動性障害…の…可能性が…」

 

 

 

 

おや?障害?

親も私も固まった。

医者を紹介された。

遠くてもいいので女性の医者がいいですと希望を言って紹介してもらい、家に帰ってベッドに潜り込んだ。

白のガラケーをカチカチ鳴らして調べた。注意欠陥・多動性障害。ADHD

発達障害だった。

次に自殺について調べた。

障害が理由で自殺する人も多いらしい。でもその中の1人になるのも癪だ。

充電が切れて、バッテリーに繋ぎながら、夕飯も食べずに夜中までずっとカチカチ調べていた。枕は色が変わるまで涙を吸った。

 

 

生活態度と成績の悪い女子高生は、1人の障害者になった。

 

 

 

高校では文化祭の熱冷めやらぬ雰囲気で、私はいつにも増してぼんやりと授業を受けていた。というか、授業中ずっと自殺について考えていた。

 

保健室に行った。保健室の先生に「カウンセリングを受けました。ADHDとかいう発達障害でした」

と一応報告。

先生は私の名前も顔も覚えてくれて、保健室に行くと「今日はどした?」と声をかけてくれるようになった。眠くて仕方ない日は保健室で仮眠をとったりもした。

 

担任にも伝えた。あの数学の先生である。

「まじかー。全然そういう風には見えないけどなー」

と軽い反応。むしろ深刻にならないように話してくださったのかもしれない。

発達障害ってクラス1〜2人はいるらしいし、そんなに珍しくないよ」

励ましのつもりだろうけどその数%に自分が当てはまったことがショックなんですよ先生。

 

コンサータリタリンという二種類の薬があり、

コンサータは飲んで割とすぐ効く。

リタリンは何週間か飲み続けて効いていく。

 

コンサータをお願いした。

簡単に言うと覚醒作用のある薬だそうだ。覚醒剤かよって思った。

 

次の日びっくりした。

全く眠くならない。授業中起きていられるのは何年ぶりだろうと思った。

6時間睡眠でも5時間半睡眠でも起きていられたけど、5時間は無理で少し寝ちゃった…とか、記録をつけた。こんな薬があるならもっと早くに知りたかった。

 

鬱状態もあったので抗鬱剤も飲んだのだが、あまり効果がなかったらしく色々な薬を試してみた。最終的にはレクサプロに落ち着いている。

 

両親は泣いていた。

発達障害は原因不明だけど、遺伝も関係あるかもしれないってのを読んだのだそうだ。

父は私と似て忘れ物が多く、きっと俺の遺伝だって項垂れていた。

両親を恨んだことはないし、むしろ欠陥品の私を十数年間よく育ててきたなって感心した。

 

発達障害障害者手帳はもらえないらしい。残念だ。

両親は発達障害についてえらく詳しくなっていった。申し訳ない気持ちもあった。

母は私が障害者なのを受け入れられず、「でも治るんだよね?」「ADHDの薬があるんだよね?」と聞いてくる。

それ以来、今も少し距離を置いている。

 

馬鹿は死ななきゃ治らない。

その通りだと思った。

だから自殺しようと思った。

 

母は19歳で父と出会い、24歳で私を生んだ。私もそうなるんだとずっと思っていた、19歳で運命の人と出会うのだと思っていた。

母と同じ高校に入った。入試の結果発表の日、「お母さんの後輩になったよ」って電話をしたら泣いて喜んでくれた。これが私の人生だと思っていた。

母は公務員になり、安定した職に就いている。「あなたも公務員を目指したら?」だから公務員を目指した。

「あなたは私の分身だからね」が、母の口癖だった。

母の望む私でいることが私だと思っていた。

 

 

大学に入って、親子喧嘩の頻度も減ってきた。心理学科に入り、興味があることを勉強した。

「人の心が知りたいって言って心理学科を志望する人が多いんだよね。人の心が分からないから学ぶのに」と先生が言っていた。

「君も?志望理由。人の心が知りたいから?」

「いいえ、自分のことを知りたいからです」

と答えたら目を丸くしていた。

 

 

大学2年生の冬。凍死を夢見たが叶わず。雪国に行くという勇気が私にはなかった。

一人旅をするタイプでもないし、怪しまれる。悶々と冬を見送った。

 

3年生の春。食べ物を受け付けなくなった。5月病かと思ったがずいぶん長引く。これはチャンスだと餓死を試みた。ただ、友人がとても心配してくれた。

私みたいな奴にも、友人ができた。少しでもいいから食べてねって声をかけたり、私の好物を持ってきてくれたりした。

死にたいの、なんて言えず、そんなに親切にしてもらって、自分はなんて不甲斐ないんだろうって泣いてた。

1ヶ月半くらい経ち、体重が6キロ落ちたあたりで、試験があった。

コンサータを飲まなくては起きていられず、レクサプロの離脱症状で血の気の引くような悪寒がして、薬を飲まざるを得なくなった。

そのために少し食事を摂り、小さくなった胃に急に物が入ってきて、身体中が言い知れぬ気持ち悪さに襲われてのたうちまわった。

親が救急車を呼んでくれたが、食べ過ぎですねとのこと。まさか餓死挑戦中でしたとは言えなかった。

人に触られるのが苦手な手首に太い注射を差して血を抜いたり何かを入れたりされた。

 

今度は失敗しない。冬には死のう。そう決意した。したのだが。

 

大好きな人と付き合うことができた。私に、「死んだら悲しい」と言ってくれた。この人と居られるのなら生きていたいと思った。

 

1年経つ前に、別れを告げられた。

それはそうだろう。いつまでたっても死にたい死にたいと鬱陶しく、「浮気したら死ぬからね」なんて口走るメンヘラなど、重すぎる。

情緒不安定になるたびに心配かけて、ごめんねって思う。

何度となく振り回してしまったのだろう。

 

別れてから1年経つが、まだ好きだ。それも死ぬ理由のひとつでもある。

 

たぶん純愛ではない。綺麗ではない。どうしようもない。

 

ちゃんとした自分になれたら、その時は、もう一度だけ告白させてね。って言い残して、まだその時じゃないってずっと告白しないでいる。

「その時」っていうのはきっと、私が死にたくならなくなった時だと思う。いつになるのか到底見当がつかない。

 

振られたのは死ぬほどつらかったが、今死んだらあの人のせいみたいになるから、それだけは嫌だった。

だからなるべく普通に、平気な感じで、当たり障りなく大学に行って、就活をして、社会人になった。

 

医者には、身体表現性障害と適応障害というダブル病名をいただいて、前から続いている過敏性大腸症候群も相俟って、リーチがかかってる状態だ。

 

 

 

今は仕事もあって忙しいのもあるが、病院に行かなくなっている。親に頼んで薬だけ処方してもらっている。

好きな人はSNSにいつもいるが、アニバーサリー反応が辛くてずっと見ていない。

 

どこにいるかも分からない自分がこれ以上過去の温度を失わないように身じろぎせずにいる。

 

とりあえず死ぬまでは生きてみようかな、なんて思ったけど、それが思いの外きつかった。

 

大学の友人と、一緒に住めたらいいねって話しているところだ。

結婚する予定のない奴らで集まって、みんなで家事分担して、一緒に暮らしたいねって。

今はたぶんそれだけが心の支えかもしれない。

私が死んだらその計画はどうなるの、飼っている猫は、最後の告白は、仕事は、家族は、どうなるの。

何度も考えた。何度も考えた結果、考えないことが一番いいって思った。

好きな人に「優しいのはいいことだけど、自己犠牲的な優しさは、直して欲しい」って言われた。

誰かが悲しむからって、ずっと自殺を思いとどまっていた。

でもそれで、死にたくても死ねなくて周りに心配かけたり迷惑かけたりするくらいなら、もうこれっきりにしたいと思った。

 

 

自殺の理由というよりは身の上話になってしまったが、自殺の理由というのはあまりこれといって無い。

無いが、でも、死にたい気持ちはある。

むしろずっと死ぬことを夢見ていたから、死にたくならない自分を想像できない。もはやそれは自分なのだろうか。

 

死にたいをやめれないのなら死ぬしかないよね。くらいの気持ちだ。

もちろん気分には波があるから、自分で無意味にも首をしめるほど落ち込むこともあれば、死ぬことなど全く頭にない時もある。

後者の状態をなるべく増やしていこうって主治医はいうけど、

偶然に流れ星を見て「今のもう一回やって!一瞬じゃなくて!ずっと光っておいて!」

というのと同じくらい無理である。

 

 

一人暮らしを始めたのも、うまいこと死ねないかなーと思ったのが理由の一部で。

しかし体調を崩せば弱音を吐いて父に電話するし、父が片道何時間もかけて助けに来てくれるしで、死ぬ気配はない。

 

交通事故で死ぬのもいいなあと思ったけど、家族や友人はきっと相手を許さないだろうし、自分のせいで他人の人生を変えるようなことはしなくない。

なんて、いろんな人の汚点になりまくった私が言うのもアレだけど。

 

 

 

 

休日恒例


現在、水曜日と木曜日に休みをいただいている私は、ただいま休日真っ只中なわけなのだが。

休日が苦手だ。

何をすればいいか分からない。

いっそ給料はいらないから仕事をしたい程度には自由時間が苦手だ。


というか昔から自由というものが苦手だった。

自由という鎖?だったかな。そんなことを言った哲学者がいたらしい。


平日の真ん中に休みをもらっても、友人と会えるわけでもなく、かといって何処かへ出かける用事もない。


こういう日はじわじわと足先が冷えていき、死にたい気持ちも再加熱するのである。


仕事をしてる時は仕事のことしか考えられない小容量な脳みそなので、助かっている。

むしろ出勤日の休憩時間も休憩室で仕事をしているし、ワーカホリックなのかもしれない。


拒食症やらモデルさんやらは、30キロ台になっても生きていられるから、それよりも痩せないと餓死は難しいのだろうな。

後遺症にだけはなりたくない。

だって後遺症が残ったら、自殺すらできなくなるのだ。

一度きりで成功させてないといけない。


去年友人にバンジージャンプに誘われた。

(飛び降り自殺の予行練習になるかも)と不純な理由で同行した。


結果。

飛び降り自殺を既遂した人は、とてつもなく強い思いで自殺したか、

もしくは死に対する恐怖が全くなかったかのどちらかだと思う。


(死ぬ気になれば何でもできるっしょ〜飛べばいいだけだし〜)

と思っていたが、そう甘くはなかった。


私「高さは何メートルくらいですか?」

係員さん「25メートルちょいかな」

私「プールくらいですね。いけるわ」

係員さん「7階建てくらいです」

私「あ待ってそれ聞いたら飛べなくなりました」


飛び降り自殺するとしたらこれより高い場所から落ちるのだ。無理!無理!と私は手すりに掴まったまま5分くらいずっと叫んでいた。


「後ろ向きで飛ぶといけますよ。」

ほう。いいことを聞いた。背中を向けて身を乗り出す。

しかし見えないのもなかなかに怖い。25メートル下では先に飛んだ友人が早く飛べと叫んでいる。


喚きすぎて朦朧としてきたあたりで、私は手すりからゆっくり手を離した。


ふわっとした気味の悪い浮遊感と、その一瞬後に来る恐怖感。

足場が視界の上の方にみるみる離れていって、「あっやべ、落ちてる」と思った。


髪が顔面を叩きつけて風を裂く音がした。

人間が落下する時は頭から落ちるというけど、たぶんあれは相当な高さから落ちた時を言うのだと思う。

私は直立から45°くらい後ろに倒れた、何とも格好のつかない姿勢で落下した。

なるほど。半端な高さから飛び降りても死ねないのは、こういうことか。とか呑気に考えてた。まあめちゃくちゃに叫んでいたけど。


自殺予行練習は終わり、私は飛び降りは向いてないなと改めて思いながらソフトクリームを食べた。おいしかった。







死因模索


今のところは餓死か凍死が有力候補だ。


なぜならば私は、手首が苦手だ。

他人に手首を触られるのが苦手だ。

リスカなど出来ない。


手首の内側の皮膚の薄い部分、あ、うわー想像したら鳥肌が…

とにかく、手首は、だめなのだ。


首吊りは怖い。特に後遺症が怖い。

あと目玉とか垂れてくるのではって思うと、もう、怖い。

グロがだめなので直接的な自殺はおっかないのです。根性無しなのです。


もしかしたらODするかも?と、ある程度の薬は溜まっているのだが、これも怖い。

そもそも自殺に対してヒャッホー!と臨んでいるわけではない。

まあ大抵の人はそうだと思うけれど、なんというか、私は消極的な自殺がしたい。


消極的な自殺がしたい(二度目)


なるべく迷惑はかけたくないし、まあ死ぬ時点で迷惑なのは百も承知なのだが、それでも、なのである。

飛び降り自殺をして、通行人が下敷きになり、通行人が死亡して本人は生還、というのも聞いたことがある。なんて恐ろしい。


私は頭が悪いので、そういろんな手段を知っているわけではない。

ネットで調べたり、完全自殺マニュアル等を読んだりした程度だ。


話は変わるが、私は一時期ある職業を目指していて、それもあって病院実習をしたことがある。

閉鎖病棟だった。

わあ…もし自殺失敗したら、こういうところに連れてこられるんだろうな…と、思った。

また、未遂で助かった時、蘇生とか胃洗浄とかは、死ぬより辛いと聞いたこともある。

友人は…なんだったかな。炭…?をしこたま飲まされたとか。


辛いから死ぬのに、死ぬより辛いのかよ。つら。

なので失敗はしたくない。

失敗したくなさすぎて、全然実行に移せていない。

去年の初夏、餓死を試みて、救急車で運ばれた程度だ。

運ばれたと言っても、ドラマで見るような(ドラマ見ないけど)差し迫った搬送ではなくて、


餓死を試みる。

徐々に食べることを減らす。

水分と薬のみ。

薬も多少のカロリーがあるのでは?と断薬

試験前日、頭が回らず薬が欲しくなる。

薬を飲むために仕方なく食事をとる。

すきやきUMEEEE


そして搬送。

食べ過ぎですね、とのことだった。

胃が小さくなっていたとはいえ、1膳で搬送とは。情けない。


今でも食は細いほうだが、全く痩せていない。解せぬ。


失敗した私は、冬の夜に酒を飲んで雪国で外で寝よう!と思った。

思ったのだが、実際は学校のことやらいろいろ忙しくて、遺書だけ書いて実行できていない。

そもそも方向音痴の私が迷わずに雪国に行けるかも心配である。



他の死因は試す気は起きない。

グロくなくて、比較的人に迷惑をかけなくて、お金もかからなくて、勇気が必要な自殺は、この二つしか思いつかない。


要するに、ズルズル先延ばし野郎なヘタレなのだ。





ブログとやら。


使い勝手がわからない。


暇つぶしのために、登録してみた。

別にブログでなくても良かったけど。

私がいなくなるときに少しだけ爪で痕をつけてやりたいなんて考えてるのかな。


情報社会は怖いから、気兼ねなく書き込めないかもしれないな。

特定とか。個人情報とか。

三日坊主かもしれないし。

もともと文章をしたためるのは得意ではない。



とあるブログに触発されて登録してみた。

と言ってもその人はブログではなく小説サイトでやっていたけど。


ああでも、小説サイトでも、よかったかなぁ。全てがフィクションですって言えるし。


その方に倣って、事の成り行きとかを書いた方がいいのだろうかね。


足先だけが異様に冷える。

しかし嫌な汗が止まらない。

普段は全然トイレに行かないのに今日はやたらトイレが近いな。


身の上話をするにはやはり個人情報やら特定やらが怖くて指が進まないな。

見ている人などいないのにな。


希死念慮に波があるみたいで、それなりに苦労している。

苦労なんて単語はあまり馴染みがないけど。

闘病日記ではない。と思う。


あああ。美しい文章が綴れたらな。


薬がないと起きていられない。

薬がないと悪寒が止まらない。


昔はその程度だったが、いつからなのか深刻化してきた気がする。

あの頃はあの頃で深刻だったけども。


今年から働き始めたので、綿密な計画を立てる時間がない。

あ、猫が起きてきた。かわいい。


社会人1年目で猫と暮らしてるシニタイちゃんです って一言で言えばいいのにそれができないあたり。な。


耳鳴り?ずっとノイズが聞こえる。トイレに立つたびにうるさくなる。


アプリゲームで時間を潰すより充電の減りが遅いね。ふふ。


9月1日は1年の中で最も自殺数が多いらしいですね。

始業式のある学生さんが特に。


そうそう、あるあるだなぁと思ったのが、

誰かが亡くなったのを聞いて、なんで私じゃないんだろうって、なるやつ。


話題がコロコロ変わるのは仕方ないんです。

忘れっぽいのと、自動思考に引っ張られやすいので。


友達とルームシェアしたいねって話もしていたけど、こんな奴と一緒になんてきっと暮らせないと思う。

せめて、せめて、なんていろいろ考えるけど、仮定は何も生まないしね。


あつい。あつい。なのに足先だけが冷たい。もしかしたら暑いとか冷たいとかは錯覚なのでは?同じ体でこんなに温度が違うことってあるのか?


今ふらりと、はてなブログをやってる人のブログをちらちら見てきた。

割とガッツリ書いても大丈夫なブログみたいだ。


ネット関係がまるで分からない人間なので、通報とかね。怖くて。



鬱病と診断されたわけではないが抗鬱剤を処方されてるため(アッ…)って感じである。

コンサータ、レクサプロ、あとは名前が覚えられないやつ。


んん?このブログは勝手に文字の大きさが変わるのかい?それとも私の疲れ目?