無条件降伏▼

自殺を目論んでいたがそれすら手放した粗悪品

諦念褪色

 

まだ生きてます。

左遷された雪国で凍えながら生きています。

おしごとつらい

 

愛猫が避妊手術を終えたが傷が痛々しい。変わってあげたい

 

引き金は日常の些末なことに散りばめられていて、その度に私の時間は遡行する。

 

安寧の地は無いのですかね。

そもそも求めること自体が間違っているんですかね。

早く楽になりたいですね。

 

何も無いよ。何も無いし、嘆くようなことも、悲しいこともひとつも無い。

だから私はきっと大丈夫。

大丈夫なまま生きていく。

それが悲しいって嘆いてるのかもしれないし、

多分私は何も分からないままだろうから。

馬鹿なままでいいや。

何もわかんないし、苦しいのは嫌だし。

全部、もういいや。

テロメアの見た宇宙が私を肯定してくれるから、もういいの。

 

 

雪国左遷

 

弊社に、とある雪国に転勤を言い渡されて、

こないだ引っ越してきました。

 

どクソ寒い。

雪やばかった。

 

言葉が通じないし、職場の人もあまり話が合わない。

何より寒すぎて心細いし、

手足の冷えが辛くて何もできなくなる。

 

人間から温度を奪うと、思考も行動も失われるのでは?と、

こたつむり体勢で考えていた。

 

あ。

むしろ、寒かったり忙しかったりして、

死にたいことを今久々に思い出した。

 

多忙こわい。転勤こわい。

 

でもここは雪国。

北海道ではないにしろ、酒と睡眠剤を飲んで寝れば、一晩で死ぬことができる。

 

しかし実行できるかが不明。

 行動的な鬱と、省エネモードの鬱がある気がする。のよね。

 

なるべく重力に逆らわないでいたいから寝たきりになるし、

入ってくる情報量をさばけなくてSNSもしばらく出来てないし、

家事も何もやってないから生活水準と汚部屋具合が生活保護受給者レベルだし、

そもそも飯も風呂も睡眠もなおざり?おざなり?でとても人に知られたくない生活してる。

省エネ鬱になると死ぬことすら面倒くさくなる。

 

あー死にてえー誰か殺してくれないかなーでも自分から動くほどの気力もないー、みたいな。

 

それこそ「甘えだ」だの耳タコの水掛け論になりますけどね。

 

はいはい甘えてますよ。世の中舐めてますよ。ゆとりですよ。意識低いですよ。「こんな時代に誰がした」なんて言いませんよ。自然淘汰と進化論だけは信じられる。こんなにも自己の断絶を望んでいますが、それとこれとはまた別の話。ね。自殺ってつまり、人間を1人殺すことだからね。許されるべきではないし、とても重いこと。たくさんのものが遺る。んで、じゃ死ぬのは良くないから、生きよう、ってなる?なるのかな。そいつは難しいな。だって死にたいもん。死にたい人を死ねなくすると、死ぬまで死にたがりなんです。風邪じゃないんだから、治るとかじゃないんだよ。

どうせなら役に立ちたいな。臓器移植とかでさ。でも母親は泣いた。娘が誰かの体の中で生きているなんて、諦めきれないじゃないか。って。

理解に苦しんだけど、うんと想像力を働かせて、ああ、確かに嫌かも、って思った。

でも私は何かの役に立ちたいな。

自分が「ああよかった」って思える方法で。

最大幸福を知りたいな。

 

過労死は

 

新社会人は思う。

 

過労死かぁ。ふむ。

どのくらいになれば過労死になれるのかなぁ。

 

私の仕事は長時間労働はたまにしか無いけど、

早番と遅番があるので、交互にくるとしんどい。

 

しかし残業時間3桁を超える友人の話を聞くと、私はまだまだ全然ぬるいじゃん、と思うし。

 

むしろこの程度で過労死しても、過労死だとは思われないだろう。もはやそれは過労死じゃない。

 

自主的に死にに行くのはあまり好かないけど、待ってても死は来ない。

普段の行いが悪いせいか。

 

しかし過労死になる前に、睡眠不足が怖い。

睡眠不足は過労死とはまた別の扱いになりそうだ。

交通事故とか、不注意の火事とか。

 

此の期に及んで希望を言えば、

かっこ悪い死に方は…やだな…

と思うのである。

 

かっこいい死に方なんて切腹くらいしか思い付かないのでアレなのだが。

 

何というか…無様じゃなくて、人に迷惑かけなくて、確実に死ねる方法がいい。

 

過労死は死ぬ前に無様だったり人に迷惑かけたりするから、考えものである。

 

致死率で言えば、抗鬱剤をODするよりも、醤油を一気飲みした方が高確率で死ねるんだけど。

違うよね。なんか違うんだよねそれ。

 

メジャーどころで言うと、首吊りなのだけど。

積極的な死は最終手段にしたい。

 

餓死とか栄養失調とか、衰弱して死にたい。

しかし仕事をしてる身としては

かなりかなりかなり厳しい。

 

4月に仕事が始まる前に、春休みを使って餓死しようとも思ったのだが、

サークルのメンバーで3月に飲み会に行ったり、もう会えなくなる友人と遊んだりして、

まあ食べざるを得なかった。

楽しい雰囲気を壊したくなくて。

 

人に心配かけてまで餓死するのも気が引けるし、「大丈夫?」とか言われると、心が苦しくなるのである。

 

ひっそりと死にたい。

なのに具合が悪くなると、

「しめた!これで死ねるかも?」

と楽観的に考えることが出来なくなる。

 

「具合悪いよおおおどうしようううう」

と父に電話してしまう。

あかんやん。

 

生き物は生きている時点で、生存本能があるので、自殺は大変難しいのです…。

本能に打ち勝たねば。

 

気が遠くなりますね。

 

 

 

発熱と鬱

 

熱が出ました。風邪かなぁ。

怠い、頭痛い、気持ち悪い、くらくらする。

 

自殺するときに痛いのってまだ分かるんだけど、

苦しいのって、相当つらそうですよね。

 

それは私が、本当に痛いことになったことがないからなんですけどね。てへ。

 

車で事故ったときも私自身は無傷だったし(車は凹んだ)、大きな怪我もしたことないし。

入院も手術もしたことないです。健康診断でもそんなに引っかかりません。BMIも20くらい。アレルギーもなし。

 

かといって健康優良児かというとそうでもなく。

頻繁に襲われる原因不明の肋の痛みとか、頭痛とか、胃痛とか、精神の不安定とか、常備薬とか。

人としてどうよそれ ってくらい食も偏っていまして。

 

栄養失調と糖尿病と脳梗塞骨粗鬆症を併発しそうな生活スタイルですが、何故かそういうのにはならない。

なるのは精神虚弱やら脳味噌の障害やらだけ。

 

 

私ね、自殺って、一種の優しさだと思うんですよ。

 

昔ネットの書き込みで見た、「障害者なんて性欲処理くらいしか使い道がない」という言葉。

ふんふん。障害者はしねとか 生まれてくるなとか言ってる人の口から、性欲処理という言葉が出るんですね。

不思議ですね。

 

私とて、自分のような存在を作りたくないので、出産はしないです。

でも話が変わってくるな、と気付きました。

強姦とかいろいろありますし、

自分の遺伝子を存続させないためには、

早めにこの世から消えるべきなんですよね。

 

途絶えさせることが優しさ。だと思いまして。

違うかもしれないけど。

お国のために産めや増やせやって言われるけど。

 

自殺はエゴだけど。生きたい人を巻き込むのはタブーだけど。遺された人は絶望することもあるけど。

死ぬことを許してはくれないかな。

 

殺人だけど。きっと気分のいいものではないだろうけど。1人が死ぬことによってたくさんの悲劇が生まれるのだとしても。

コールド負けを認めてはくれないかな。

 

本当にかわいそうって思っているのなら、静かに眠らせてはくれないかな。

「何としてでも生きてて欲しかった」

「何としてでも死なせて欲しかった」

「生きたくても生きれない人もいるんだぞ」

「死にたくても死ねない人もいるんだぞ」

 

昔、給食を残すと怒られたよなぁ。

世界にはたくさんの恵まれない人たちがいて、パンの一切れも食べられないのよ、って。

 

それは私が食べる理由にはならないよね。

私が生きる理由にはならないよね。

 

何にもならない場所で帳尻を合わせて、誰のためになるの?

残飯がない悦だけがあって、それは難民の人のパンに変わったりしないでしょう?

 

 

安楽死制度がある国もあるよ。

でも、不治の病だとか、回復の余地がないくらい死にかけの人とかしか、対象にならなかった。

 

体が健康な人は、死ぬことを許可されない。

 

体が健康じゃなくなっても、尚も生きて欲しいと、たくさんの管に繋がれることもある。

 

本人の意思って、なんだろうね。

死にたい人は普通じゃないから判断力がないとか思われてそう。

 

末期症状で、死の淵を彷徨っていて、「安楽死にしてください」はいいのに、

精神疾患で、何度も自殺しようとして、「安楽死にしてください」はダメなの?

 

どちらも同じように、死にかけなんだよ。

体の病気で死ぬか心の病気で死ぬかの違いでさ。

 

体の病気は不治の病が存在するのに、

心の病気って聞くと皆すぐに「頑張って治そうね」「きっとよくなるよ」と信じて止まないのはなんで?

 

 

死んだらどうなるのかなぁ。

自我を意識できなくなって、世界が閉じるのかなぁ。

ずっと夢の中を漂い続けるのかなぁ。

 

生きてることが素晴らしいとは思わないけど、死ぬことが素晴らしいとも思わないよ。

私はただ、間違った方向に優しいだけだ。

 

 

 

心療内科

 

行きつけの病院に行ってきました。

薬って高いよね…今日はコンサータとレクサプロのみ処方してもらったので、薬代が1万3千くらい。

 

てかコンサータって効きます?

覚醒作用はあるけど

注意欠陥に効いてる感じがしない。

 

もしくは、効いてるのかもしれないけど、元がひどすぎて、あまり変わってないように感じるのか。

 

あークリエイティブになりたいー。

なんでもいいから秀でたいー。

世間から認められる もしくは自分を尊敬できるような能力がほしいー。

 

自慢できるような特技はあれです。

私は人を苛立たせる天才です。まじで。

 

接客はいいんだけど、従業員とのコミュニケーションが無理なんだよね…

 

んで仕事も時間とか休みが不定期だから、発達障害にはキツイっす。

でも発達障害を公表する気はないし、言い訳っていうか、自己アピールしたくないし、

そういう目で見られるのもきっと耐えられない。

「それじゃ仕方ないね」に甘えたくない…

 

ビクビクしながら正当な人間にうまく潜り込んで素知らぬふりしてる。

 

 

 

 

 

前言撤回

 

普通に死にたいわ。余裕で死にたい。バリバリ死にたい。

前回、「死にたいというより〜」とかって言ったけど。

いやいや、バチクソ死にたいです。

 

仕事で上司に

昼「これ忘れないでね」夕方「メモ書いて貼っといたからね」夜「忘れないでね」直前「やっといてね」

ここまで釘を刺されて忘れるというクソ海馬。職務放棄か貴様。

 

絶対に忘れちゃいけないからって1分前にも声かけて下さったし、目の前にはデカデカとメモも貼ってもらったのに。

何してんの私の中枢神経?死ぬ?死のう?

 

運転中、小夜子をやけくそに歌いながら帰宅。

ここ3日で玉突き事故を3回見たけどどうして私は巻き込まれてないんだろうね。

 

強く願えば叶うっつうんなら叶えてくれよ神様。

ダイエットも日記も続かない三日坊主の私が唯一毎日続けてる希死念慮をさ!

 

いっそ、うんと幸せな死に方とか、クソほどアホな死に方とかを考えたくなるよね。

 

猫アレルギーだったら猫カフェに行って呼吸困難とかになりながら癒しと共にもふもふ死にたい。しかし残念ながらアレルギーは持っていない。

 

好物を死ぬほど食べて死ぬのもいいけど、そもそもそんなに好きな食べ物って無い。

醤油は致死量がそこまで多くないし、薬で死ぬより手近でいいって聞いたけど。

醤油…醤油かぁ…。すげえ間抜けな感じだな。

 

バンジージャンプで、跳ぶ直前に命綱を外すとかな。係員さんに怒られるだろうけど、でも下手したらその遊園地は営業停止になるし、私のポリシーとしてはなるべく迷惑を最小限にしたいので却下やな。

だから人身事故って聞くと、わぁ…まじか…ってなる。ふとした瞬間に気軽に死ねるのはいいことだけど、乗客や鉄道会社や遺族にすっげえ迷惑がかかる。

例えば首吊りなら遺族と警察と死亡届云々関連だものね。

 

本人確認できるものとともに遺書を書いて、「事件性もないし他殺でもありません、自らの意思で死にます」みたいなことを書けば、捜査の手間が省けるみたいなことをどこかで読んだ気がする。

 

遺書なー。遺書で大事なのは、

*死ぬ前に見られない

*死んだ後に確実に見つけてもらえる

の2つだと思っている。

 

死ぬ前に遺書が見つかっちゃったら、死ぬどころじゃない。確実に入院させられるし、下手したら監視や監禁もありえる。

そして死後に遺書を見つけてもらえなかったらそれはもはや遺書ですらない。警察の方が必死に事件性を調べてくださるかもしれないし、誰かが殺人犯として疑いをかけられるかもしれない。

 

死因にもよるけど、遺書が劣化しないことも大事かもしれない。

焼身自殺しながら遺書を握りしめてたんじゃ元も子もないしな。

お手軽なのは、お菓子が何かの缶に入れることかと思う。ある程度の熱や衝撃にも耐えられるし、部屋にあっても怪しまれない。

 

しかしいざ遺書を書こうとするとなかなかに難しいんだよな。

変にカッコつけた文章を書くとイタいし、かといって簡潔すぎても深読みされたり解釈違いを起こされたり。

しかし自殺理由を長々と書くと原稿用紙が短編小説くらいになってしまいそうだ。

「死亡動機ランキング!」とか「10分でわかる!私の人生ダイジェスト」とかを遺書に盛り込んでみたら如何だろうか。うーん。

 

遺書とは難しいな。

むしろ、納得のいく遺書を書くことを目標にしてみようか。

遺書が完成し次第、死ぬ、みたいな。

ちょっとロマンチックじゃない?遺書に生かされるみたいな。

 

さて、お夕飯を食べましょうかね。

 

容姿煩悩

 

死にたいというより、漠然とした辛さと呆然とした諦念の詰め合わせと言った方が、今の自分に合う気がする。

 

さっきまで黙々と髪のケアについて調べていたけど、別に死ぬんなら綺麗でいる必要もないだろうに。

生前(まだ生きているからこの言葉は不適切か?)の癖というか、慣性というか。

だって、綺麗な方が、愛されるでしょう。

 

愛されたいかどうかと聞かれたら、愛されたい。そりゃ。

ていうか、(例えどんな理由でも)愛されていた過去があるのが尚更、である。

今でも夢に見るし、気がつくとずっと考えている。

医者が言うには適応障害とのこと。

 

ダイエットしている理由は主に「綺麗になりたい」「致死率を上げたい」の2つだ。矛盾してる気もするが。

私を追い立てる辛さから逃げ出すために趣味に打ち込みたいが、私の趣味はあの人と共有していることが多すぎて。

非共有のコスプレ久しぶりにやってみっかなーと思ってのダイエット。

 

今時のアニメについていけねえええええ

ゲーム買ったはいけど開封もしてねえええええ何年前のだこれ

趣味がどんどん苦痛なものになっていくのは大概はあいつがチラつくからなんかな。

 

自己を確立してえな。

でもそんなん出来てたら誰にも依存しないし無い物ねだりもしないんだろうかね。

早く家建てたい。

 

忘れることができない脳味噌の構造が残酷すぎやしないかと。

そもそも普段の生活から上手い具合にストレッサーを拾う玄人なのでは私?

だから意識をしかと持とうとすると手首折れるからいつも意識があやふやなのかね。

 

そういえば私、比喩表現を使わないと意思疎通が図れない。

公用語は難しいね。